まだまだ寒い空気の中にも春の萌が感じられるころ、堤さん一家の住宅が完成しました。引っ越しがおわり、ご家族の新しい生活がはじまりました。小学生のお子さんたちはこの家でのびのびと育っていってほしいですし、ご夫婦にはお二人らしい暮らしのスタイルをこの家で築き上げていってほしいと思います。
家づくり日記は今日、2018年3月30日のページで最終回です。長らくおつきあいいただき、ありがとうございました。
基礎の上に土台、柱、梁を組み上げると家の骨組ができ上がります。土台はヒノキ、柱はスギ、梁はベイマツを使っています。これに床板と屋根と壁をつけると木構造としての構造体が完成します。在来構法と呼ばれる木造軸組工法は骨組みだけでは地震や強風でゆらゆら揺れてしまいますが、床や壁の面をしっかり張ることで揺れにくい箱のような構造にします。また、柱と梁が抜けたりはずれたりしないように金物を取り付けます。茶色く見えている壁の板は「ダイライト」という特殊な板で、構造体としての強さと、火事にも燃えない防火性を兼ね備えた建築材料です。
壁をつけると部屋の形や広さが見えてきますし、窓から見える景色も輪郭がはっきりします。この日は工事が始まってから初めて建て主の堤さん(仮名)一家が現場に来てくれました。窓の穴からまわりの景色を見たり、脚立に上って屋根裏部屋をのぞいてみたりして、みなさんで新しい暮らしのイメージを膨らませていました。構造ができたのでこれから造作工事に入ります。職人の腕の見せ所です。
コンクリートを型枠に流し込んで住宅の基礎をつくりました。いま固まるのを待っているところです。ベタ基礎なので建物の床下全部がコンクリートです。壁が立つラインに沿って一段コンクリートが高くなっているため、1階の間取りがわかりますね。この高くなっている部分を立ち上がりと呼びます。コンビニ弁当の容器の仕切り壁の部分と似ています。これまでのベタ基礎工事ではこの立ち上がりをつくるのに、まずは平らに流したコンクリートが固まってからその上に立ち上がり用の型枠を立てて再びコンクリートを流していました。こうして2度に分ける理由は型枠を立てる作業がしやすいからですが、まてよ、最初のコンクリートと二回目のコンクリートはくっついているのか?という素朴な疑問が浮かびませんか。基礎コンクリートはがっちり一体化していることが理想です。それは構造として強いという意味とつなぎめの隙間から雨水がしみ込まないようにするという意味があります。じつはコンクリート同士はあまりくっついていないそうです。でも壊れないのは中に鉄筋が入っていて結びつけているので離れないのです。だから構造としては問題ないのですが、隙間から雨水が入ることはないとは言えないのです。
そこで最近では立ち上がりまで一回のコンクリート流し込みで造ってしまう工事が増えています。でもそのためには立ち上がりの型枠を空中に浮かせる必要があり、これが簡単ではないのです。写真を見ると平らなコンクリートの上に立ち上がりの型枠が立っているように見えますが、じつは流し込みの前までは細い鉄棒の脚で空中に持ち上げられた“浮き型枠”だったのです。浮き型枠を使ったことで強度的にも漏水上も心配ありません。基礎固めは完璧です。
さあしっかりした基礎ができたので、次はいよいよ建て方です。
発掘調査を行っている間、事務所では見積もり調整をしていました。見積書を細かくチェックして間違いがないか、また削れるところはないか検討し、ベーシックな工事については当初予算内に収まりました。それ以外のオプション的な仕様、例えばペレットストーブや鉄骨のバルコニーなどは追加予算が必要になるため施主の判断を仰ぎます。とりあえずベーシック部分だけの工事契約を交わし、堤さんの住宅の建設工事が本格的に始まりました。今月から年末にかけて半年弱の工期です。建設工事は大きく分けて、基礎工事→建て方(骨組み)→外装工事→設備工事→内装工事と進みます。基礎工事は土を掘り下げて鉄筋コンクリートの基礎をつくる工事です。
木造住宅は土台から上の骨組みは木ですが、地面と接するところは腐らないようにコンクリートなのです。写真は捨てコンクリートを打設しているところです。捨てコンは基礎そのものではなく、土を覆って建設作業をしやすくするためのもので、この上で型枠や鉄筋を組み立てるいわば作業台になります。ビニールシートが見えていますが、地中から湿気が上がってこないように敷地全体に敷いているものです。
碁盤目状の低いところは地中梁になる部分です。地中梁は地盤の不同沈下が起きてしまっても基礎が折れないようにホネの役目をします。今回、先に地中に埋め込んである地盤改良杭が柱の役目をし、その上に地中梁がのって基礎を支えます。
捨てコンの打設はミキサー車が生コンを運んできて、ポンプ車が現場に流し込み、左官屋さんが平らに均すという3つの職種で作業しますが、今回は左官屋さんではなく、大工さんが均し作業を行いました。いつも私の木造住宅を施工してくれる工務店の社長であり大工である彼は、現場監督をするとともに自分でできる作業は自分でやってしまいます。設計全体を理解しているのでかえって安心です。
捨てコンが固まったら基礎工事が始まります。
堤さんの住宅の建設予定地で発掘調査が行われました。地中に埋蔵文化財が埋まっている可能性があるエリアでは、基礎工事などで土が掘り起こされる前に発掘調査をしなければなりません。調査費は事業用建築の場合は事業主が負担しますが、個人が自宅を建てる場合は市が負担してくれます。天候に恵まれたので発掘調査は約2週間ですみました。
この敷地の近くの道路工事のときに鎌倉時代の土器がざくざく出たのを見ているので、もしかしたらと思っていましたが、敷地からは何も出ませんでした。ただ掘ったのは住宅の基礎の深さまでなので、その下にはおそらく遺跡が埋まっているでしょう。写真は掘り終わった状態で、ベタ基礎とその下の地中梁の部分だけ掘ってあります。せいぜい深さ60㎝程度なので、その下にあるものは将来家を建て替えたりするときに本格的な調査をするまで眠ったままになります。歴史の上に今の住まいがあると思うとなんだかロマンを感じますね。
大型連休のこの時期、鎌倉はとても過ごしやすい気候になります。山の緑や花も美しく、観光客もたくさんやってきます。そんな中、堤さんの敷地ではいよいよ工事が始まりました。工事と言ってもまだ建築工事ではなく地盤改良工事です。地盤改良とは建物が地盤沈下によって傾いてしまわないように基礎の下の軟弱な地盤を固くする工事です。堤さんの敷地の地盤はスウェーデン・サウンディング法で調査していますが、その結果、敷地の一部に宅地造成の際の埋め戻し土が入っていることがわかりました。そこに基礎をのせるためには埋め戻し土を固く改良する必要があるのです。
地盤改良にはいろいろな方法があります。表層改良といってベタ基礎全体の下の土を表層だけ固くする方法や鋼管杭という鉄パイプを地面に何本も打ち込む方法などありますが、今回は柱状改良を採用しました。これは地面の下の土を円柱の形に固める方法です。写真に写っている巨大なコルク栓抜きのような機械で直径60センチの穴を掘り、掘りながらスクリューの先端からセメントミルクを注ぎ込んで土と混ぜ合わせます。何日か経つと土が円柱の形に固まるわけです。これを必要な本数だけ行います。今回は約3mの深さまで掘り下げました。そこから下は地山、つまり昔からの固い土であることが地盤調査データで判明しています。実際3mあたりでスクリューに急に負荷がかかってそれ以上すんなり入っていかなくなったことでもわかります。
地盤沈下する可能性がある土地とは、水際など自然の地層が軟弱地盤である場合と、埋め立て地や斜面の造成など盛り土で人工的に造った土地の場合があります。堤さんの敷地の一部も一度掘った部分に人工的に土を盛っているわけです。
柱状改良や杭を固い支持層まで入れることは地盤沈下対策として信頼性の高い方法だと思います。しかし、鎌倉でこれをやろうとすると大きな問題にぶつかることがあります。それは埋蔵文化財、つまり遺跡の問題です。遺跡が埋まっている可能性のある地域を埋蔵文化財包蔵地と呼び、工事で地面を掘る場合は事前に発掘調査をして記録を残さなければなりません。たとえば深さ3mの改良をする場合はその前に調査員が少しずつ掘っていって、工事で破壊されてしまう地下3mまでの地層に埋まっている文化財を保存したり、住居跡を図面にしたりするのです。
堤さんの敷地では、宅地造成で地面を掘った箇所ではその工事の前に発掘調査が済んでいて、今回はすぐに地盤改良に取りかかることができました。しかしそれは建設予定範囲の端の限定的な部分で、その他の大部分は未調査のままです。そこに基礎をつくるためにはやはり発掘調査をする必要があります。次回はその発掘調査の様子をお知らせしたいと思います。
昨秋11月にはじまった堤さん(仮名)ご家族の住宅の設計も2週間ごとの打ち合わせを経て春3月、基本設計がほぼまとまりました。だいたい順調なペースで打ち合わせを進められた堤邸でも4ヶ月かかりました。基本設計とは設計者が建て主との間で相談しながら進める設計で、図面としては平面図、断面図、立面図、配置図などの基本的な図面を1/100の縮尺で制作します。これに仕上表と概算見積書を加えて基本設計図書といいます。平面図で部屋の配置や広さを検討し、立面図で外観を、仕上表で床や壁に使う材料を検討します。打ち合わせに出した変更案は7案ほど。第1案で外形や階構成の大枠は決まっていたので、その後は間取りや開口部などの修正を繰り返しました。キッチンのレイアウトや収納の位置、冷暖房のシステムなどの概略も決めました。いまそれらを図面にして工務店に送り、概算見積りを作ってもらっています。
堤さんはすでに銀行のローン担当窓口に仮の工事請負契約書を提出していますが、それにはローンの根拠とするための予算どおりの請負金額が書かれています。今回の概算見積り作成は計画案がその予算内に収まっているかどうか、オーバーしているとしたらどの程度かを知るための作業です。それによっては仕様を見直さなければなりません。
基本設計の最期に仕上表にしたがって素材感を表現した模型をつくりました。内装もフローリングや造り付け家具を作ってリアリティを出しました。奥様はこの模型を見てやっと広さが理解できたとおっしゃっていました。この模型は秋の建築士仕事展に出品する予定です。
由比ガ浜通りに、通りかかった観光客のほとんどがガラス越しに中を覗くお店があります。包丁などの刃物を扱っている「菊一商店」です。歴史を感じさせる店舗の内部では親子2代の職人がいつも刃物を研いでいます。じつは店主の菊一さんはこの商店街の景観協議会の会長で、いつもまちづくりのプロジェクトでお世話になっています。お店は昭和11年に建てられた築80年の建築です。昨年、リフォームを依頼され、内装をきれいにする計画を進めてきました。
しかし、その計画中に熊本の地震もあり、耐震補強もすることになりました。店は間口がすべてガラスの開口部で横揺れに弱い構造になっていました。そこで筋交いを入れて横揺れに対して踏ん張れる補強を提案しました。しかしそのためには工事中は店を休まなければならないし、また筋交いが入ることで店内のデザインに影響が出ます。店の中をいじらないで耐震性を持たせることができないかという要望に対して、外部から鉄骨で補強するアイデアを検討しました。
外壁に沿って何本かの鉄骨の柱を立て、それらを横につないで立方体フレームにしました。写真をよく見てもらうと屋根の上に水平の部材が浮かんでいるのが分かります。H鋼の梁です。それが建物の左右でH鋼の柱につながっていて、門型のフレームになっています。それはまた後ろにもつながっていて建物を囲みながら、木造の柱、胴差、梁にボルトで留めつけられていて、ギプスのようにがっちりと補強しているのです。細いH鋼なので地震時には木造建物と合わせて揺れながら骨組みを保持し、2階が落ちてくるような倒壊は避けられるはずです。
鉄骨の表面はリン酸処理という黒っぽいメッキで色づけされているため目立ちません。また屋根の上の鉄骨には杉板をはめ込んで着色しているので屋根に同化しています。隣家との隙間が狭いのですが15㎝の出っ張りで納まったので裏への行き来が妨げられずにすみました。内装だけでなく外壁やテントもきれいになりました。今菊一さんは看板も木製で新調しようと銘木を探しているところです。
昭和中期に建てられた木造住宅が鎌倉にはまだたくさん残っています。昭和中期とは昭和20年代から40年代にかけての時代です。戦後の高度成長期といってもいいかもしれませんが、いわゆるショウワな感じといった場合にイメージする、サザエさん的な、みんなが中流意識と戦争の記憶をもっていた、あの時代。その昭和中期の住宅はいまでは古民家の仲間に入っていますが、それらは古民家と言っても農村のそれのような骨太の民芸調のものでも贅沢な意匠を凝らした別荘風のものでもなく、アルミサッシや新建材がほとんど使われていない木でできたチープシックな「昭和民家」とでも呼びたい小住宅です。
そんな昭和民家に共通の特徴として、外まわりの木部を塗装する場合にある決まった色に塗ることが多かったようです。それは茶色と紫色を混ぜたような色、あるいはもみじとかあずきのような色、身近なところでは三菱鉛筆UNIの色です。専門的に言うと日本の伝統色の「えびいろ」あるいは「えびちゃいろ」です。えびとはえびかずらというヤマブドウの実が由来だそうで、海のエビに由来する「海老茶色」とはちがいます。漢字で書くと「葡萄色」「葡萄茶色」です。ようするにワインレッドか。
そんな派手な色に塗った家ばかりだったわけはないだろう、と思うかもしれませんが、気にしながら鎌倉をあるくと意外にたくさんこの色に塗られた家を見ることができます。写真のように家全体をえびいろで塗った例も少なくありませんが、戸袋や破風板や板塀など一部の木のところにえびいろを使っている古い家はそこかしこにあります。それは鎌倉に限ったことではないかもしれません。実は私が小学生の頃住んでいた秦野の家もこの色だった記憶がありますし、妻の東京の生家もこの色だったそうです。やはり昭和の流行だったのでしょうか。
先日、ある現場で塗装業の親方にその話をしたらそれはベンガラの褪せた色かなと言っていました。ベンガラって神社に塗ってある紅い色?ちょっと違う気がするけど。調べたら土から取れる酸化鉄をもとにした江戸時代からの顔料のようです。自分では使ったことはないとのこと。何年塗装職をやってるのか聞いたら30年だそうで、彼が家を塗り始めた頃にはすでに昭和も後期に入っていたわけです。木の壁はオスモで塗ることが多いですと言っていました。ドイツの健康塗料もいいけど、白ワインの国ですからえびちゃ色はないでしょ。
堤さんご夫婦(仮名)とのキャッチボールは、2週間に1度のペースで打ち合せをしています。今回は模型を用意して内部空間のイメージを確認しています。
設計をすすめるにあたって、予算を考えながら規模や仕様を決めていきます。堤さんの場合、住宅にかかる費用はほぼ全額が銀行からの借入です。当初大枠で5千万円と考えていた堤さんですが、銀行に審査してもらったところ、5,500万円までのローンが組めるという回答が帰ってきました。土地代が想定を少し越えた3,100万円だったので、建築にかけられる費用は2,400万円です。この金額内に工事費と設計料を収めなくてはなりません。そこで工事費は2,000万円、設計料は220万円、税込みで約2,400万円という前提条件で設計をはじめました。
土地代の融資を受けた後、次に設計料を含めた建築費の融資を実行してもらうためには、その費用の裏付けとして建築工事請負契約書と設計監理契約書を銀行に提示する必要があります。設計監理契約はすでに交わされていますが、請負契約はまだです。一般的には設計が完了して工務店から見積りを取り、そのうえで契約します。ですので設計途中で請負契約書はつくれません。しかし借り手が望むタイミングで融資してもらうために早めに手続きをはじめることが一般的です。例えば、設計契約では設計料の支払を着手時、基本設計完了時、実施設計完了時、工事監理完了時の4回に分割してクライアントから支払っていただきます。また、建設費は着工時、上棟時、完成時の3回に分割することが多いです。それぞれのタイミングに合わせて、借り手は支払日の前月に銀行に請求書を送って準備を依頼します。
建築工事請負契約書は工務店がつくります。堤さんのケースでは、すでに施工する工務店が決まっています。私の設計する住宅の大半をお願いしている工務店です。長年の信頼関係があるので、設計途中の図面をもとに概算見積もりと暫定的な請負契約書をつくってもらいます。これを銀行に提出することでローンの手続きは先行できます。正式な見積りと契約は設計が完了した時に正確に行います。ただし請負額が減額するとローンの借入額も減額になります。必要以上は融資できないからです。逆に増額しても借入額は増えません。
また、クライアントによっては複数の工務店から見積りをとって比べたいと考えるでしょう。時間があればそれでもかまいません。その場合、設計料は自己資金でまかなって、融資実行の手続きが終わってから着工すればいいのです。
2016年12月8日夜、由比ガ浜商店街の街路灯が消えました。3.11の停電のときを思い出します。ただし今回は停電ではなく、街路灯のリニューアル計画の検討のために街路灯のない状況を観察する実験です。既存の街路灯が消えた中に、仮設でダウンライト型の電灯をともしてみました。なつかしい夜景が出現しました。商店街のある店主は「これじゃあしたのジョーだね」と言っていました。
来年設置する予定の新しい街路灯はダウンライト型にすることが決まっています。ただ、具体的なデザインはまだ検討中です。雰囲気と明るさの関係、歩行の安全性、そして商店街のコンセプトである品のある景観などを考慮して綿密に設計にする必要があります。デザインは私を含めたひとまち鎌倉ネットワークの3人の建築家が検討を進めています。それぞれが制作したフードタイプ、アンドンタイプ、円筒タイプのデザイン案について商店街の理事たちに提案していますが、どうなるかまだわかりません。あしたはどっちだ。
堤さんご夫婦の住まいに対する要望をうかがい、ご主人の要望スケッチも見せてもらって、設計のプロセスが始まりました。お二人の要望の数はそれほど多くはないのですが、住まい方のイメージはちゃんとお持ちで、それはお話や要望スケッチからわかります。その要望を敷地条件や予算の枠内で具体的な空間の形にするのが設計の仕事です。そして建て主が気づかない敷地の特徴を考慮したり、何十年か後の家族の形を想像したり、耐震や暑さ寒さに対する性能を計算したりするのも設計のプロとしての業務です。もちろんデザインも重要で、居心地のいい室内とまち並みにあった外観を心がけます。
前回の設計打ち合わせの中で、堤さんたちの住まいのイメージは、ものを見せないすっきりした部屋で家族いっしょの時間を大切にすごすことと理解しました。収納庫に道具や服などすべて仕舞って室内には棚やタンスなどの収納を感じさせるものをなくしたいと言われ、要望スケッチには寝室より大きなウォークインクローゼットが描かれています。また、大きなダイニングテーブルとみんなで料理できるキッチンがほしいし、大きなソファで団らんの楽しめる居間にしたいとの希望です。そのほか、個室は最小限でいい、土間があるといい、風呂から緑を眺めたいなどの要望も出ました。
これらの要望をうかがったので、私は案を具体的に考え始めました。そしてその2週間後の打ち合わせでお出しした基本設計の第1案が上の写真です。これは居間が2階にあるプランで、眺めの良さと高い天井をもつ2階を団らんのためのスペースにしました。土間のあるアイランドキッチンがあり、そして大きな納戸を居間のとなりにつくってあります。一方、1階には大きなワンルームの寝室がありますが、この部屋は仕切ったりつなげたり二段ベッドをつけたりできる仕組みです。予算と坪単価から延べ面積は28坪に納めています。
これはたたき台で、要望を敷地と予算にあてはめて条件の整理をすることが今回の案の目的です。これを見ながら議論したところ、2階にトイレはいらない、洋服収納は寝室に近くに、テレビのかわりに薪ストーブを置けるか、バルコニーをつけたい、などの意見が出ました。それらは次の案で検討されます。こうしたやりとりをくり返す中で、新しい気づきがあったり暮らしのイメージの修正があったりして設計は進んでいきます。このキャッチボールをたっぷりするほど、本当に気に入った自分たちだけの住まいに近づくのだと思います。
敷地の購入が決まり、ローンの審査も無事通ったので、土地に関して残るは引き渡しと登記だけです。そこでいよいよ家の設計の段階に入りました。今日の打ち合せは堤さん(仮名)と設計事務所との間で結ぶ「設計監理委託業務契約」の重要事項説明と、こんな家に住みたい、という設計の要望をうかがうことが議題です。
設計のご依頼をいただいた段階ですでに敷地が決まっている場合は、最初に建て主さんから要望と予算をうかがいます。そして設計契約を交わして土地の条件を調査し、構想を練るというのが通常の進め方です。堤さんの場合は土地探しからかかわっているので、予算、土地の条件はすでに把握しています。設計の要望も少し聞いていましたが、あらためて家のイメージ、暮らし方のイメージを教えてくださいと打ち合せの前にお願いしておきました。
契約の話が済んで、設計の打ち合せになるとご主人は間取りのスケッチを取り出しました。「昨日のよる描いてましたよ」と奥様が言うスケッチが写真です。左側に敷地と道が描いてあり、右側に2階建てのプランが描いてあります。タッチはけっこう様になっていて建築学科の学生よりもプロっぽいかも。1階に個室がならび、大きなクローゼットがあります。廊下が土間になっていて、土間に面して中庭があるようです。2階はワンルームのLDKで浴室も2階です。大きなテラスがあり中庭から外階段で直接上がれるようです。
要望を設計者に伝えようとして、堤さんのように自分でスケッチを描いてくる人もいれば、ワープロで数枚に及ぶ要望リストをお持ちになる人もいますが、あまり多くありません。たいていは打ち合せの中で言葉で希望をおっしゃるか、雑誌などの写真を見せてイメージを伝えようとします。建て主スケッチは諸条件が考慮されていないのでそのまま設計に活かせることはまずありません。でも家づくりに向かうわくわくした気分はとてもよく伝わってきます。
フライフィッシングの練習をしているのではありません。長い棒の先についているのは釣り糸ではなく見晴らしをさぐるための仕掛けです。じつはスマホを先端に固定して、2階にいる人の目線で見える眺めを動画で撮影しているのです。自撮り棒ならぬ「地撮り棒」です。
土地探しを進めていた堤さんから電話が来ました。決めたい物件があるということでした。探し始めてから2ヶ月ほどの間、堤さんご夫婦は休日ごとに売り出し物件を見て回っていました。先週も一緒にいくつかの物件を見に行き、不動産会社に話を聞きにも行きましたが、もっとじっくり探したいといった様子でしたので、突然の電話にちょっと意外な感じがしました。じつはその土地は前回のブログで触れた開発中のエリアにある物件です。近隣住民が未知数だからという理由でパスした土地でしたが、そのあとやっぱり見てみようと現地に行ったとのことです。確かに宅地造成中の開発地ですが第1期として販売中の東南角の区画が気に入ったようです。電話をもらったあと私も見に行き、写真のような仕掛けで2階からの眺めを確認したというわけです。エリアの端部に位置しているうえ宅盤が道路よりかなり高いので人通りが気にならないこと、南西側隣地が低い斜面林で緑が豊かなことが堤さんご夫婦のいい評価を得たようです。
眺望も悪くなかったのですが、林の木々によって冬場は午後の日差しが遮られることが明らかなため、堤さんはもう少し日当りのいい隣の区画も候補にしていました。でもそちらは最終的に周りを隣家に囲まれることになるのでプライバシーの確保に問題がありそうです。結局、日当りの良さよりも落ち着いた暮らしを取って、最初に気に入った角の敷地に決めました。
いくつも土地を見て回るうちに、最初に考えていた条件の優先順位が修正されていくこともあり、また現地を見たときに感じるフィーリングも大きな決定要因になります。げにうすろき、というやつでしょうか。人との出会いと同じように土地との出会いに縁を感じることもあるかも知れません。
そんなわけで堤さんたちは予想していたよりも早く敷地を決定し、家づくりの最初のハードルをこえたのです。
4人家族のマイホームを建てるプロセスに土地探しからスタートした堤さん(仮名)ご夫婦。今日は休日を利用して不動産会社を訪問しました。前回の打ち合わせでは、藤沢の息子さんたちが通っている小学校の近くに土地を求めたいとおっしゃっていましたが、お子さんが転校してもいいよと言ってくれたので、鎌倉も候補に入れることになりました。それなら地元に強い不動産屋さんに直接話を聞いてみようと御成不動産の大島社長に面会です。ご希望はと聞かれて、「山側で、駅から歩けて、3千万円以下」とご主人。山側とは、旧鎌倉地区でJR鎌倉駅より北をおおざっぱに山側、駅より南を海側といいます。駅から歩けるとは人によって基準がちがうでしょうけどだいたい徒歩30分以内でしょうか。不動産業界では80mを1分で歩ける距離としているそうですが、地図上の80mだからアップダウンは無視されています。坂道でのロスはじっさい歩いてみないと分かりません。山側、というぐらいですし。
「鎌倉は出てもすぐ売れてしまうので、物件情報はたくさんはありません。今日あるのはこんなところです」と社長が出してきたのは2物件。どちらも徒歩22分、20分と希望圏内。片方は畑を宅地造成したところで、今後も隣地を開発し続けていくことがわかっています。ご主人は開発地は近隣住民の素性が分からないから避けたいと前回の打ち合わせでおっしゃっていたので、こちらはパス。もう一方は古家のあった大きな宅地を2分割したもの。広さは50坪、予算内の価格です。 チラシと地図をもらいました。
備え付けのお客様データシートに連絡先を記入して、今後新しい情報が入ったら連絡をもらう約束をして店を辞したあと、その物件を見に行くことにしました。車を駐車場に入れて、駅から歩いてみます。
地図を頼りにおよそ30分で現地に到着。途中でちょっと迷ったとはいえ、チラシには20分と書いてあったので、やはり歩いてみるべきですね。
坂道の途中の日当たりのいい土地です。2分割した西側の敷地はすでに工事が始まっていて、杭打ちが行われていました。ご主人は周囲の状況をよく観察しています。土地を見るときはつい敷地そのものに集中して、まわりがどんな様子だったかあとから思い出せない、となりがちです。敷地の写真を撮る場合、敷地の真ん中に立って回転しながら、4方をカメラに納めるパノラマ撮影をおすすめします。接道状況は道からスロープで車を入れられる、上下水道は以前の住宅の管がこの敷地に残っている、南側隣地との高低差はほぼ平ら、東側は奥の住宅の旗竿部分に面している、などを確認して帰りました。帰りは下りだったので早かった。なるほど、徒歩20分は「駅から」ではなく「駅まで」ということだったのか。
台風がひとつ通過してもまだまだ残暑がきびしい今朝、事務所に新たな建て主さんが打ち合せにきてくれました。湘南は藤沢のアパートで暮らす40代の堤さん(仮名)ご夫婦と、小学生の2人の息子さんたち。サッカーで日焼けした元気いっぱいの兄弟です。ケーブルTV関係の会社にお勤めのご主人は、土地を購入して家を建てるローンを組むには今しかない、と決断されたそうです。
「はじめてなので、よろしくお願いします」と奥様。ほとんどの人が初めてですから、と打ち合せが始まった。まずは土地を探す相談です。まだ敷地をお持ちでない建て主さんから設計の相談をいただくことはときどきあります。しかしどちらかというと「購入したい土地があるんですが、どう思いますか?」とすでに決めかかっている土地の評価を依頼されることの方が多いですね。その場合はいっしょに土地を見て、建物のおおよその希望をうかがって、計画をシミュレーションして回答します。
今回はそれより前の、まさに家づくりのスタートラインに立っている建て主さんです。これから不動産屋さんを回って土地をみつけ、銀行とローンの相談をして、設計事務所で家の相談をし、予算内で工事してくれる工務店と契約し、現場で大工さんたちの仕事を見まもり、家財をまとめて入居するまでのしんどくて、でも楽しい旅のはじまりです。
数日前にメールでご連絡いただいていたので、サンプルとして希望エリアの物件データをいくつか準備しておきました。いつもの「御成不動産」で、レインズ(*1)に流れている物件のなかからエリアと価格で検索した数件をプリントしてもらいました。堤さんは用意よく、そのエリアの地図を持参されていました。「この町内からこの町内までが子どもたちが通っている小学校の校区なので、できればその中で見つけたい」とのこと。それから「海岸から近すぎると津波がこわいので、1キロ以上離れたい」とも。かなり希望範囲が明確です。肝心の予算については、土地と建物で総額5千万円、とこちらも明確ですが、これは1軒目のマイホームを建てる施主の一番多い予算額です。「トータル5千万として建物を重視するなら半分ずつくらいが理想ですが、そのエリアだと土地のほうにお金がかかるかも」と話し合ってとりあえず3千万までで探すことに。
ではどこにいい土地の情報があるのでしょうか。まずは不動産屋さんですが、レインズは広範囲に情報を検索できるので、エリアにこだわりがなくて好条件ならどこでも、という場合には威力を発揮します。また、周辺の坪単価の相場がよくわかります。一方、この町内で、みたいなピンポイントの物件なら地主と知り合いの地元の老舗不動産屋に相談すると生な情報が見つかったりします。「御成不動産」は今回は「そのエリアは得意じゃない」ということでレインズ担当をお願いし、別に地元の不動産屋で信頼できるところもあたることにします。
もうひとつの方法として、「足で」土地を探す方法もあります。空き地や古家に「売地」という看板が立っているのを見たことがありますよね。物件にはレインズに流さず、自社ルートで買い手を探している場合があります。不動産業者としては売り手と買い手の「両手」を扱えば手数料が2倍入ってくるので、見込のある物件は直接売りたいのでしょう。実は堤さん、以前自宅の近所で「売地」の看板を見て、直接電話してみたことがあるそうで、「どこで知ったんですか?」と逆に聞かれたそうです。
今日の打ち合せは、これからしばらく土地を探しながら、同時に住まい方、暮らし方のイメージをたくさんメモにしていきましょうというお話をして終了です。子どもたちはお行儀よく辛抱して待っていてくれました。つづく。
今週末は事務所のある材木座地区のおまつりです。材木座の五所神社の参道には提灯が掲げられていて、夕刻には灯りがともされ、おまつりへの期待感をいやがおうでも高めてくれます。提灯の黄色い光の列は見る人を非日常性へといざなう華やいだ雰囲気があります。昔はろうそくが光源だったわけですから、もっとほの暗くゆらめく炎が神域の妖しさを演出していたでしょう。それが電球に替わってだいぶ明るくなったわけですが、それでも電球の黄色い光には炎の記憶を呼び覚ますものがあります。
しかし、いま鎌倉中で進められている防犯灯や街路灯のLED化は、そんな炎の記憶は過去の遺物とでも言うかのように、真っ白い突き刺すような光で夜の街を照らしつつあります。確かに電気代が安くなり、交換の手間がなくなります。しかしLED照明は目に入るとまぶしい上に影が濃くて明暗のコントラストがきつく、照らしていないところにあるものはかえってよく見えません。
電球の光を見るとなぜかほっとするのは私だけではないでしょう。いつか炎の記憶とつながるちょうちんのような街路灯に替えてくれないかな。
毎週本厚木の大学に電車で通っています。小田急線に乗っていて海老名駅を過ぎると線路の両側に少しばかり水田が見えます。かつては広々した田園だったのでしょうが、いまでは住宅や商業施設などの建物に囲まれてしまい、たいした収穫量があるわけでもなさそうだし、近い将来には都市化されて田んぼはなくなってしまいそうです。
4月のある日、海老名の郊外に用事で出かけた際、酒蔵と書いた看板の前を通りかかりました。1軒の農家くらいの小さな屋敷でいちど通り過ぎたのですが、気になって引き返してみると庭に幟が立っていたので思い切って門を入ってみました。しぼりに使うとおぼしき布ぶくろが中庭に干されています。 蔵を改造した直売所があったので土産に一本買って帰りました。聞いたことのないブランドだったのであまり期待していなかったのですが、その日の晩酌に開けてみたらそのうまかったこと。甘口を買ったのですが、はじめとろっとこくがあってのみくちがよいけどべたべたしてなくて米の味が感じられ後味はすっきりしている。神奈川県にこんなうまい酒を造っているところがあるなんて。調べてみるとこの酒蔵、海老名市内とその近郊の水田で栽培された酒造米でさけづくりをしているとのこと。しかもほぼ無農薬。自らも栽培を行っているらしい。もしかしたら電車から見えるあの田んぼの米もここでお酒になっているのかも。いづみ橋酒造、無農薬の水田に舞う赤トンボのラベルが目印です。