釜石の奇跡といわれた津波防災教育

東日本大震災の津波被害に遭った釜石では、学校にいた小中学生が全員助かり、「釜石の奇跡」と言われています。その子どもたちに防災教育をしていた群馬大学片田敏孝教授の講演会が鎌倉で開かれました。聴講メモよりお話しの一部を抜粋して紹介します。

片田敏孝講演録
日時・2012年4月22日
場所・鎌倉市立御成小学校体育館 

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・  釜石の小学校、中学校で防災教育をはじめて8年目だった。

・  釜石の奇跡と言われるが、学校管理下にあった小学生1,927人、中学生999人は全員助かったが、その時間に学校管理下になかった5人が死亡している。

・  津波防災にかかわるきっかけは2004年のインド洋スマトラ沖地震被害調査にインドに行ったこと。23万人が死亡。

・  釜石で防災教育を始めた理由。各地で防災の講演をしても聴きに来る人はもともと防災意識が高い人たちなので、広まらない。そこで、拠点を定めて(釜石と三重県の2カ所)そこから広める方針にした。

・  今回の震災前、地震の時避難したか調査すると、釜石でも2%しか避難していない。子どもに聞くと「お父さんが逃げないから。だって立派な防潮堤があるから逃げなくていいって」と答えた。子どもは置かれた状況で育つ。

・  防災教育を受けた子どもは10年後に大人(市民)になり、さらに10年後に親(文化の担い手)になる。

・  防災の基本「大いなる自然に畏敬の念を持ち、行政に委ねず、自らの命を主体的に守る」

・  キーワードは「想定外」。本当に想定外だったのか。明和地震では石垣島に85mの津波が来ているし、富士山が噴火したことだってある。

・  行政による防災は、まず守る目標を定め、それ以上はあきらめるという「想定」が前提になっている。「100年に1回」的な確率の想定によって、ほとんどの災害を制圧した気分になる。

・  田老町のX型防潮堤ができたら、当地の住民は避難訓練に参加しなくなった。

・  釜石の世界一の防波堤ができたとき、これで安心して暮らせると住民が言った。完成式典で講演して安心しないでと言ったら怒られた。安心すると逃げ遅れる。行政まかせ、他人まかせになってはいけない。

・  今回の津波は想定外ではないし、想定が甘かったのでもない。問題は「想定にとらわれすぎた防災」。

・  釜石の防災教育3原則「想定にとらわれるな。避難は最善を尽くせ。率先して避難するひとになれ。」

・  釜石の大槌湾地区。死者はハザードマップの津波被害予想エリアの外で出ている。

・  同地区の釜石東中学校の生徒は隣の鵜住居小学校の児童の手を引き、保育園の子どもをかかえ、お年寄りの車椅子を押しながら高台に避難した。両校ともハザードマップでは津波被害予想エリア外。まず最初に、グランドにいたサッカー部の生徒が逃げ出す。その際、小学校に寄って校舎に向かって「逃げるぞ!」と叫んだ。それを見た児童が「3階に上がりなさい」という先生の声を無視して逃げ始める(同調バイアス)。中学生はみんな小学校に寄りながら児童と一緒に逃げた(津波は校舎の屋上を超えた)。子どもたちは避難所に指定されたグループホームに逃げた。だがもっと上に行こうという生徒の声で、全員がさらに高いデイサービスに移り出した。その直後にグループホームが津波にのまれ、最後尾の生徒はすねまで水につかった。デイサービスにも水が迫り、子どもたちはあわてて斜面を登った。

・  「最善を尽くせ」の意味は、少しでも安全性が高まる避難方法が考えられるなら、その手段を取り続けろということ。ここなら大丈夫だろう、と安心しないこと。もし津波が来なければ、「よかったね」といって帰ればいい。逃げた子をほめるように。

・  「率先避難者になれ」の意味は、危ないと感じても自分は大丈夫だと思い込もうとする「正常化の偏見」を打ち破るために、逃げる人を見ると同調して逃げる「同調性バイアス」を働かせるため。ひとりで逃げろ、ということではなく、最初に逃げ始めろということで、余裕があったら弱者を助けながら逃げるべき。

・  「姿勢の防災教育」が大切。主体的な姿勢をつくる。地震が来たら津波が来ると思って逃げるのが釜石で暮らす作法だという津波防災の姿勢。良くないのは「脅しの防災教育」(効果が長続きしない)と「知識の防災教育」(想定にとらわれ行政まかせになる)。

・  子どもに「ひとりで家にいて地震が来たらどうする?」と質問すると「お母さんに電話する」と答える。子どもに親へ「僕は逃げるから学校に(家に)迎えに来ないで」と言わせた。そのときに親が子どもに言って確認すべき3つの言葉「(あなたはちゃんと逃げることが)わかった」「じゃあ、ママも逃げる」「あとで、迎えに行くね」

・  「津波てんでんこ」の片田的解釈:「自らの命に責任をもつこと。家族との信頼関係を築くこと」

・  避難訓練では中学生がリヤカーを引いてお年寄りを運んだり、炊き出ししたり、手作りの「安否札」を配ったり町ぐるみで避難訓練した(それでも千人亡くなって残念)。

・  中学生には「助けられる人でなく助ける人に」と教えたが、震災当日はそれを言ったことを後悔した。自己矛盾していると思う。当日は八戸にいたが、揺れが収まってすぐに助けないでいいから逃げろと電話しようとしたがつながらなかった。

・  世界の大地震の記録を調べると、大地震の前後10年位の間に地震が繰り返される傾向がある。今後10年は日本に大地震が来る可能性が高い。長い揺れは海溝型地震なので大津波が間を置いて来る。

・  段階的避難所計画。安全か危険かではなく、地区を安全レベル評価で4段階に分け、安全レベルを高める手段として避難設備(避難タワー、避難ビル、高台階段・・・)を設け、「時間がない場合に逃げるところ」と考える。「しょうがない」場合に利用する。

(記録・文責 熊倉洋介)

想定通りか?排水口対策

庭のU字溝に落ち葉が飛んできて排水口をふさいでしまう、というお客さんからの連絡で、対策をとることになりました。落ち葉対策のいい製品がないかとネットで調べたら、雨樋用の落ち葉除け器具が紹介されていました。つまらない、という製品名のプラスチックのかご。建築業界に多いそのまんまネーミングに遭遇すると、いつも「スベラーズ」を思い出しますが、今回はちょっとしゃれが効いてるほうですね。なんでも特許をとっているそうで、流れてきた葉っぱはかごに引っ掛かって水だけが流れ、晴れて風の強い日に葉っぱは乾いて飛んで行ってしまうという触れ込みでした。手間いらず!
これをさっそく購入し、現場にセットしてみました。

よさそうな感じでした。ところが半月ほどたって大雨が降ったあと、やっぱり詰まってます、という連絡がありました。行ってみると葉っぱというより、木の実や泥などかごの孔より小さいつぶつぶが排水口の目皿をふさいでいました。

そこでこの小さいやからどもを排水口まで寄せ付けないために、その手前にもう一つ堰を設けることにしました。今度は手作りです。ステンレスの金網を買ってきて、金切り鋏で切り出し、ペンチで曲げて、溝に合うように堰のかたちに整形しました。うなぎとかも獲れそうです。

これで雨が降って水が流れてきても、葉っぱや木の実はこの網にからめとられるはずです。目詰まりするとあふれてしまうので、ときどきお客さんに掃除してもらう必要がありますが、以前ほど頻繁にする必要はないでしょう。
さて、想定通り本当にうまくいくのか?それともどこかの防潮堤のように、自然は人間の知恵を超えてしまうのか?

熱線カッター

建築やまち並みの模型をつくる際、発泡スチロールを材料にすることがあります。設計中の建物のイメージをおおざっぱに模型化するときや、積み木のように並べてミニチュアの街をつくったりするときに、手軽に使える材料です。発泡スチロールは柔らかいのですが、カッターでは以外ときれいに切れません。つぶつぶでできているので、切るときにポロポロと欠けてしまうのです。そこでよく使うのが熱線カッターです。ぴんと張ったニクロム線に電気を通して熱くして、そこにスチロールをあてがうと、溶けながらすーっと切れます。針金で雪を切る感じですかね。このなめらかな「溶切感」はちょっと気持ちよくて、建築学科の学生などの隠れた楽しみです。
先日、新しい地盤改良の現場を見学しました。軟弱地盤の敷地の土を発泡スチロールと入れ替える工法です。建物の建つエリアに浅い穴を掘って、真新しい真っ白な発泡スチロールを並べていました。建物がだいたい四角だから畳サイズの発泡スチロールを縦横に並べているのですが、最後の端のほうは寸法を合わせるためにカットしなければなりません。そこで使っていたのが、やはり熱線カッターでした。ニクロム線にトランスをかませて電気を通していましたが、材料が大きいので二人がかりです。江戸時代の二人で引くのこぎりみたいに左右に分かれてニクロム線を引っ張っていました。すーっと切っている瞬間の写真ですが、やっぱりちょっと気持ちよさそうです。