さようなら、中丸さん

私が由比ガ浜商店街の景観まちづくりにかかわることになったのは、数年前、この通りにある私の工事現場に酒屋の中丸さんが困った顔でやってきたからでした。由比ガ浜中央商店街の景観協議会会長だった中丸さんは、私の設計したビルが景観ルールに違反しているかもという連絡を受けて確かめに来られました。工事にかかる前に中丸さんには図面で説明していたので問題ないつもりだったのですが、解釈によっては違反とも受け取れる箇所があったのです。その件の反省から、今後他の事業主の案件で図面を読み解く必要があったら協力させてくださいとお願いしました。中丸さんはこころよく受け入れてくれて、そこから商店街のデザインレビュー制度につながる協力活動が始まったのです。マンションや店舗の計画があると呼んでくれるので、景観ルールにかんがみてどうかという意見を出させてもらっています。
中丸さんはよく「昔は酒屋はまちの情報通だったのよ」と言っていました。御用聞きに各戸をまわっているので、結婚相手家族の評判をこっそり酒屋に聞いたりしたものだそうです。でもだんだん御用聞きを呼ぶ家も少なくなり、近所づきあいも減ってきて、住民同士が疎遠になってきた。そのためか中丸さんは、まちのことは自分がなんとかしなくては、という気持ちを持たれていたようで、景観協議会会長以外に町内会長も引き受けていました。
昨日の夜、中丸さんのお葬式がありました。夏頃まではイベントにも出て元気な笑顔を見せていたのに、とても急な訃報でした。いつも3輪バイクでまちをぐるぐる回っていた中丸さんの姿は商店街のシンボルのひとつでした。でも最期には奥様に、もう疲れたよ、と打ち明けていたそうです。どうかあっちでのんびりしてください。ありがとうございました。さようなら、中丸さん。

あんどんワークショップの説明を聞く中丸さん(右端)